fc2ブログ

16343-1 富山県朝日町(泊)

富山県朝日町

1:泊

■2019年8月31日(土)

【歴史】

江戸時代の泊は、北陸道の宿場町だった。
江戸時代の始め、宿場町は元屋敷と呼ばれる海沿いの地区にあった。
しかし、元屋敷は1717年の大津波で甚大な被害を受けたため、宿場町は元屋敷から現在の市街地に移転された。

泊の十村は伊東家が務めた。
特に、伊東彦四郎は愛本新用水を開削し、370ヘクタールの新田を開発した、腕利きの治水家だった。
彦四郎は1819年の十村断獄で一時期流罪となるが、半年で許された。
その後、彦四郎は出家して大安寺を建立し、茶や書を楽しむ悠々自適な隠居生活を送った(政治に復活しなかったのは、持病の影響があったとも言われている)。
大安寺には、彦四郎の茶室「呑月窩(どげつか)」が現存する。
asahi_012.jpg

彦四郎の墓は常光寺にある。
墓石は四段の角石(一段目は四角錐)を使用しており、珍しい形をしている。
asahi_007.jpg

asahi_008.jpg

彦四郎が隠居後も伊東家は十村を務め、広大な土地の邸宅を有していた。
1878年の明治天皇の北陸巡幸において、伊東家は行在所となり、わずか2ヶ月で明治天皇用の奥座敷を用意した。
奥座敷は壁一面を金箔で装飾し、飛騨高山から檜の良材を調達し、天井を格天井にした。
奥座敷は宮大工の加藤忠平の仕事であり、この奥座敷を気に入った明治天皇は加藤を専属の宮大工にし、皇居や赤坂離宮等の建設で活躍させた。
伊東家の屋敷ではこの座敷のみが現存し、明治記念館として整備・公開されている。
asahi_004.jpg

asahi_002.jpg

asahi_001.jpg

戦時中の泊では、行きすぎた言論統制が行われた「泊事件」の舞台になった。
泊出身の共産主義者であった細川嘉六は、自著の出版記念に編集者や研究者を地元の泊に招き、紋左という旅館で宴会を開き、集合写真を撮った。
しかし、特別高等警察はこの写真を日本共産党再結成の謀議の証拠としてでっちあげ、細川だけてなく、細川の関係者が多く逮捕され、獄死した人が4人も発生した。
紋左には、泊事件のことを伝える石碑が建てられ、別館には泊事件に関する資料を多数所蔵している。
asahi_005.jpg

asahi_006.jpg

細川は終戦後に釈放され、公職追放が発令されるまで共産党の議員として活躍した。
細川の墓は大安寺にあるが、建立が大正年間であることから、生前墓だったと考えられる。
asahi_009.jpg
カテゴリ
プロフィール

ザック

Author:ザック
【出身・住所】
茨城県水戸市生まれ
茨城県石岡市八郷育ち
現在は仕事で大田区在住

【職業】
2011年より社会人・SE
妻帯者

【趣味】
 旅、日本地理、日本史(特に江戸時代以降)

最新記事
アクセスカウンター